伊澤の牧場〜アンチフォーム交友録〜

行き場のない言葉達を放牧しています。勝手に書く。

「メディアは人々から何を奪ったか?」 水戸芸術館 ハローワールド ポストヒューマン時代 に向けて 平成三十年二月十日—五月六日

「メディアは人々から何を奪ったか?」 水戸芸術館 ハローワールド ポストヒューマン時代 に向けて 平成三十年二月十日—五月六日

「メディアはメッセージである」  あまりにも有名なマクルーハンのこの言葉によって、 人間拡張の原理によるメディア論の展開は幕を開けた。 大阪万博に熱を上げていた当時の日本でマクルーハン 旋風が吹き荒れてから約半世紀後。メディアや情報社会 に関するある種の警鐘を打ち鳴らすような展覧会がこ の現代に開催されたのは非常に示唆的であると感じる。 情報通信技術の発達とともにメディアは様々な変容を 遂げたが、社会制度上のコミュニティでの個々の繋がり は希薄になり、アノニマスな集団としてのコミュニティ が力を帯びるような状況になってしまった今、改めてデ ジタルネイティブ化しつつある世界の枠組みを捉え直 す必要があるだろう。

 私が本展覧会によって切実な問題として考えさせら れたことは身体の不在である。コミュニケーションの 不在と言い換えてもいいかもしれない。ネットアート を九十年代後半より牽引し続けているアーティストグ ループ「エキソニモ」は本展において、SNS による他 者と自己との差異を可視化するような作品制作を行っ ている。エキソニモの作品は現代の情報空間の身体のあ り方について非常に示唆的であり、承認欲求を追い求め る人々同士にはリアルの肉体など必要ではないのだと いうことをあえて明示して見せているように見える。 《キス、もしくは二台のモニタ》では目をつぶった人の 顔がモニタにランダムに映され、それがあたかもキス をしているかのように設置されている。これは、キス をしているという行為における身体感覚の不在という 問題を示しているように見受けられる。ランダムに映 し出される、全く無関係の人同士のデバイスを通した 接触は、情報空間での新しい身体のあり方を明示して いるように思える。《Live Stream》では、2台のモニ タの一方は自分しか映らない。しかし、もう一方は自 分の他にSNS のアイコンが表示されるようになってお り、そこからハートマークやLike が飛び交うような画 面になっている。ここで視覚化されている他者評価の 概念は今日の情報コミュニティではよく見られる光景 である。人々はこぞって「SNS 映え」するような自撮 りを上げて承認欲求を満たしているのだ。ここで注目 したいのは、承認されているという認識のみが重要で あり、それが仮にプログラミングされていようが生身 の人間が反応しようがSNS 上では等価である、という ことである。つまりは他者という身体の消滅とイメー ジの可視化のみがそこにあるのだ。エキソニモの他に もレイチェル・マクリーンが《大切なのは中身》でも SNS でのイメージに捉われる人物のイメージを描き出 している。コミュニケーションは決して定量化できる ものではないが、既にLIke の数が人望を決める基準に なりつつある。技術と情報に依存した社会の中で、デ ジタルデバイスに囚われた我々に、もう一度身体を取り戻す方法はあるのだろうか。