伊澤の牧場〜アンチフォーム交友録〜

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書評 山本浩貴『現代美術史——欧米、日本、トランスナショナル』

 はじめに

 日本語で読むことができる現代美術史の概説書は少ない。針生一郎による『戦後美術盛衰史』や千葉茂夫による『現代美術逸脱史』など日本の戦後美術に関する書籍は何冊かあるが、欧米諸国やアジアの動向も踏まえた包括的な現代美術史の資料には乏しいのが現状である。

 しかし、昨年には、複数の美術史家による大著『ART SINCE 1900:図鑑 1900年以後の芸術』の日本語訳が出版され、次いで山本浩貴著『現代美術史——欧米、日本、トランスナショナル』が刊行されたことで、日本でも改めて現代美術史を捉え直す機会が得られている。

 本稿で取り扱う『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』は、単に現代美術の潮流を年代順に紹介するものではなく、「芸術と社会」という枠組みにおいて捉え直すものである。そもそも、表現の枠組みが拡大した現在、多数の潮流を体系化して書くことはほとんど不可能である。著者は「芸術と社会」の関係がいかにして相互変化してきたかを描き出すことで、アートの持つ共同性や対話可能性といった特質を浮かび上がらせ、芸術が社会にとっていかに機能してきたかを問い直そうとしているのである。

 本書は3部構成(第一部欧米編、第二部日本編、第三部トランスナショナルな美術史)である。まず初めに、山本は欧米圏における現代美術と社会運動との関連性について提示する。1960年代以降、芸術表現が多様化し、作品が美術館ではなく公共空間で展示されるようになった。そうした60年代から隆盛した公共空間と不可分なものになった芸術作品について、美術と社会双方の制度から考察するものになっている。次に、第二部日本編は、日本における戦後美術の潮流をたどりながら、「中心」と「周縁」というキーワードを行き来しながら日本の芸術動向について紹介するものになっている。第三部のトランスナショナルな美術史では、黒人差別問題や植民地支配などのポストコロニアリズム的な歴史観から作られた周縁化された美術について主に考察されている。本書を紹介しつつ、「芸術と社会」という枠組みから抽出された現代美術史について自分なりに考えを深めてみたいと思う。

 第一部欧米編

 本書の序章で、山本は、戦前の「アーツ・アンド・クラフツ」、「民芸」、「ダダ」、「マヴォ」、といった芸術動向を「近現代美術を代表する社会芸術運動」(p.5)として取り出している。そして、これらの芸術動向は近代批判を基軸に据えたある種の共同体やコミュニケーション創出装置としての芸術運動として機能していることが明らかにされている。こうした動向の後継として立ち現れるのは第一部で紹介される1960年代以降の芸術運動である。

 1960年代は旧来の芸術のメディアとしての形式や役割を疑問視し、破壊し、あるいはそれらを組み合わせることによって新たな表現形式を創造しようとした芸術動向が現れた時代である。そして、同時に美術館から公共空間への作品の展開が行われていった。こうした公共空間への進出とメディアの拡張に関して、山本は2つの理由を挙げる。一つは「芸術の自律性を唱えるモダニズムへの反発」(p.37)。二つ目は「世界中に拡散した市民反乱」(p.38)である。

 ここで重要なのは、芸術が近代や従来の芸術規範を乗り越えるものとして発展してきたということである。一つ目の理由であるモダニズムの反発の例として山本が挙げているのが「ランド・アート」や「ミニマル・アート」、あるいは「フルクサス」による「イヴェント」のような、場所、空間、時間との結びつきを重視した作品群である。山本はあまり触れていないが、日本では同時期に「環境芸術」と呼ばれるような美術動向が存在し、最新のメディア・テクノロジーを使用した作品と鑑賞者間のインタラクティブな関係性を形作る作品群が「環境芸術」として捉えられていた。批評家の中原佑介は、「芸術の環境化と環境の芸術化」の中で「環境はかたちを持った実態でなく動的な状態そのものなのである」[1]と語っているが、まさしく時間や空間を意識した「環境化」された芸術が60年代に出現していたのである。

 2つ目の理由に関連する事例として、山本はベトナム反戦運動公民権運動の出現、フェミニズム活動の活発化を挙げ、そうした社会運動と芸術表現がいかにして結び付いたかをマーサ・ロスラー(1943~)の作品やミエーレ・レーダーマン・ユークレス(1939~)の作品を例に挙げて論じている。本書は作品の美的性質を明らかにするものではないため、作品に関しての記述は極めて限定的なものに留まるが、同時期に現れた美術制度批判と社会制度批判という2つの批判が相互に混じり合い、60年代に作品化されていったのは興味深い。環境化され、公共空間や複数のメディアとの結びつきが強くなった芸術作品は、社会制度批判などポリティカルな要素を取り込むことで、コミュニティとの結びつきを強めることになったのではないだろうか。

 場所、空間、時間との結びつきを強め、制度批判を組み込んで鑑賞者を巻き込むような形で「環境化」された作品が60年代以降増加傾向にあるということは、第一部を通して確認できる。しかし、本書の面白いところは、さらに歩みを深めて、90年代から現代までのごく最近の芸術動向まで言及している点である。山本によれば、90年代における注目すべき芸術傾向は「『他者』に対する関心の高まり」(p.79)だという。ここで言われる他者とは例えば非西欧圏やセクシャルマイノリティの人々のことで、欧米諸国によって周縁化されていたものに目が向けられるようになったということである。こうした「他者」への視線や「他者」と関わろうとする視線はリレーショナル・アートのような「関係性」を形作る場において機能するものになっていく。現代ではSEA(ソーシャリー・エンゲージド・アート)のような「社会的相互行為なしに成立しない」(p.92)芸術や、コミュニティアートのような「集合的創造性」(p.104)を特色とする芸術動向が出現している。「社会的相互行為」や「集合的創造性」は複数の参加者からなる共同性から出現するものであり、60年代の芸術動向と比べると、作品によって鑑賞者も含めた周囲の環境が形作られるのではなく、環境によって作品が形作られるといったような制作手法の転換が起こっていると言えるだろう。60年代以降の欧米圏の芸術動向を見ていくと、芸術それ自体の自律性は分裂し、複数化したようにも思える。鑑賞者によって形成された芸術作品は、中原の言葉を借りて言えば、環境として「動的な状態」を作り出す。現在の芸術は、共同体やポリティカルな変化によって、新たに分裂した「環境」がさらに増殖し、生み出されていくことで、既存の制度に揺さぶりをかけていけるのかもしれない。

[1] 中原佑介「芸術の環境化と、環境の芸術化」『美術手帖』1967年 6月 141頁

 

第二部日本編

 第二部の日本編は「具体美術協会」(以下具体)や「ハイレッドセンター」、「もの派」など、一見して既存の戦後美術史の流れに即して動向を紹介しているように思われる。しかし、「九州派」、「万博破壊共闘派」、「美術家共闘会議」(以下美共闘)などの、従来の戦後美術史ではさほど扱われてこなかった運動を取り上げて、周縁化されてきた芸術運動の特異性を抽出している点は興味深い。山本は、日本という文脈において「具体美術協会」を「中心」、「九州派」を「周縁」と位置付けているが、世界という文脈において、具体を「周縁」、具体の表現に多大な影響を与えた「アンフォルメル」等の欧米美術を「中心」として捉えることの可能性も同時に示している(p.136)。欧米編で紹介されたような「ランド・アート」や「ミニマル・アート」は制度批判によって発生したものであり、それは「中心」に対する揺さぶりをかけることで生まれたものである。日本においても「中心」とされている制度に揺さぶりをかけることで多くの前衛美術が誕生している。本書で記述される「万博破壊共闘派」は、国と企業の協力を得て大阪万博に参加したアーティスト達を「中心」に据えたことで生まれたグループである。もともと万博に参加したアーティストは日本の戦後美術において「周縁」であったが、万博を通して「中心」に引き入れられ、乗り越えられるべき対象となったのである。「万博破壊共闘派」は「テクノロジーによる人間意識の支配やその延長としての近代的な管理社会の到来に対して抵抗を示す」(p.142)運動体であった。万博で制作されたパビリオンは最新のテクノロジーを積み上げてできたものであり、「万博破壊共闘派」は、裸でパフォーマンスすることで、美術と社会制度の双方の「中心」に対しての抵抗を示すものであった。また、学園紛争と期をを同じくして起こった、「美共闘」のような芸術家グループも美術館や東京ビエンナーレなどの既存の美術制度の「中心」に対して周縁化された領域から始まったグループである。こうした芸術動向は、60年代欧米圏の美術にも共通して見られるものであり、本書を通じて、改めて60年代の美術動向の強烈さを意識することになった。

 しかし、第二部日本編は第一部欧米編と比べて、日本における「芸術と社会」の関連を示すための芸術動向の単なる紹介に止まっている感が否めないことも事実である。80年代〜90年代の動向として「ダムタイプ」に触れられてはいるものの、「エイズ・アクティビズム」における一動向としての画一的な記述にとどまっているし、日本におけるコミュニティ・アートの事例紹介に関しても、特に興味深い視点が提示されているわけではない。

 ただし、その中でも地域アートに関する言説として紹介されている藤田直哉(1983~)の理論は現在のアート・プロジェクトの特徴を捉えているものとして興味深かった。藤田は「アートプロジェクトの流行によって日本の現代美術の主要な関心が美的価値の追及からコミュニケーションの創出へと移行してきた点を指摘」(p.197)している。このことは、万博に参加したアーティストが、企業や国の宣伝のためにパビリオンの演出を担ったこととも似ているように思われる。アートを利用して地域に人を呼び込むという行為はアートを単にエンタメ化し消費させる行為に他ならない。そのことは山本が日本編の最終章で記す「3.11以後の芸術」においても意識されるべき問題であろう。コミュニケーションの創出の先にある、アートの持つ神秘性と暴力性が、環境との相互作用の中で効果的に発揮される必要があるのではないだろうか。

 

第三部 トランスナショナルな美術史

 第三部では著者の視点から「トランスナショナルな美術史」が描かれる。このことについて、山本は国民国家によって形作られた「ナショナル・ヒストリー」としての美術史を刷新し、「トランスナショナル・(国境を越えた)ヒストリー」としての美術史を構築する必要性を主張している(p.217)。つまり、これまでの権力の側から正史として形作られてきた美術史に対抗し、周縁的なマイノリティの美術史を描き出そうということである。国家横断的に周縁として取り残されてきた美術を積極的に取り上げることで、新しいマッピングを行おうというある種壮大な試みだ。

 取り上げられているのは、「ブリティッシュ・ブラック・アート」、「植民地化の歴史や帝国主義に取材した作品群」、「在日コリアンによる美術」、「沖縄、韓国、台湾における美術」等である。山本は抑圧に対抗し、戦うものの表現として存在する芸術動向を分析した後、「美術と戦争」という巨大なテーマを用いて芸術の可能性とその限界を描き出そうとしている。

 第三部で特に興味深く読んだのは、最終章の「美術と戦争 -豊かな可能性の裏面として-」である。ここで山本は戦争と結びついた芸術動向と戦争における全体主義的な傾向との共通項について考察しており、「未来派ファシズム」、「レニ・リーフェンシュタールとナチズム」、「戦争画と日本軍国主義」の3つの例を使用している。ここでは、それぞれの芸術動向、あるいは作家に対しての先行研究を引用しながら、戦争に利用された美術についてできるだけ明快に説明しようとしている。これら3つの事例に共通するように思われるのは、芸術の持つ神秘性や美しさへの無邪気な賛美である。情報量が多く伝搬が素早い視覚的表現は、はるか昔にはキリスト教の伝搬にも使われたように、特定のイメージを不特定多数の人間に広めて、意志の統一をさせるのに重要な役割を果たしてきた。古来より人間は自然など神秘的なものに惹かれ、信仰の対象としてきたが、自らが作り出した科学技術を信仰の対象としたことで逆に自らを滅ぼすことになってしまうことの証左がこれらの例によって明らかになっている。未来派のような科学技術を用いた速度への賛美が結果的に戦争へと結びついてしまうこと、リーフェンシュタールが『信念の勝利』(1933)によって政治的なイデオロギーを美的な特性で覆い隠したこと、そして、国民を一つにするため、日本の理念を美的に表現するために戦争画が描かれたことは、人間による美に対しての無邪気な賛美によって引き起こされているのだと改めて思う。自らが作ったものに自らが滅ぼされることがないように、芸術の危険性に対しては常に目配りをしておかねばならない。

 

おわりに

 本書を通して昨今の芸術動向の傾向について視座を深めることができたと思う。現代美術はこれからも多様化するだろうし、科学技術の発展によって使用されるメディアも更に複雑化し、より社会状況と密接な作品が多く作られることにもなるだろう。昨年は愛知県で行われた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」でマスメディアによって断片的に切り取られた情報が多数の人々の反感を買うこととなった。作品の美的価値は無視し、芸術を自らのコミュニケーションの道具としてしか捉えない人々の態度は芸術に対する多くの人々に共通するものである。今も昔も同じことが繰り返されていると思う。今年は東京オリンピックが開催される予定であり、5年後にはまた、大阪万博がやってくる。おそらく、これからも芸術は社会の要請によって利用され、消費されていくだろう。それに抗う術は、周縁に目を向け、物事の本質を見失わないように努力し続けることしかない。

 

【参考文献】

山本浩貴『現代美術史——欧米、日本、トランスナショナル中央公論社、2019年。

中原佑介「芸術の環境化と、環境の芸術化」『美術手帖』第283号、1967年6月、131-141頁。