伊澤の牧場〜アンチフォーム交友録〜

行き場のない言葉達を放牧しています。勝手に書く。

蓮沼執太フィル『◯→◯』

 今、オーチャードホールからの帰り道にあるネットカフェで足の裏を痺れさせながらこの文章を書いている。最近、見たというだけで満足してしまって文章を書かないのが怠惰すぎるなぁと自分に嫌気がさしている。だから少しでも早く感想を書き記すことを心がけたいと思っている。継続性はともかくとして。

 今日はDCPRG以来のライブ。一月にライブを2度も見に行くというのはあまりないが、これは偶然というより必然だ。最高に大好きなバンド2つが同じ月に演奏することになっただけだ(しかも1つは解散ライブだったしね)。今日はは蓮沼執太フィルの『◯→◯』を見た。この不思議なタイトルがまず気になったが、その答えはパンフレットに記載してあった。「◯=空間」。What?空間から空間へ?全くもって抽象的。だが、それが良い。最初の「◯」は演奏が行われるオーチャードホールの空間。次の「◯」は4/30から配信される映像が再生される空間。そういうことらしい。記号的には同じだが、解像度を上げると見えてくる、異なる2つの空間が「→」で結びついている。その2つの空間から、生の音楽が響く空間、生の音楽を聴く空間へ意識を飛ばしていく。

 僕は蓮沼執太さんの作品はギャラリー等で見ているし、ほとんどの曲を聴いている。その中でも最も面白いと感じるのは「蓮沼執太フィル」の活動である。アンビエントが基調にあるのは普段の蓮沼さんの音楽と変わらないけれど、コラボレーターによってシティポップ調になったりハードなノイズミュージックにも変化する。メンバーも本当にバラバラなバックグラウンドを持っていて、その多様性が良いまとまりを見せている。DCPRGのライブは凄まじい技術で実験的なぶちかましを行うぶつかり稽古的感覚があったのだけど、蓮沼執太フィルのライブはコラボレーターと寄り添いながら新しい音楽をリアルタイムで構築していく感覚があった。イメージの共有が高いレベルでできている。とにかく多幸感に満ち溢れたライブだったのだけど、照明の演出の巧みさなど、視覚的要素も楽しめるライブだった。ライブハウスでよくありがちな色とりどりの照明が明滅しながら交差するような演出はあまり行われず、舞台中央に下がっている円筒形の照明が音に合わせて小刻みに振動するように明滅させたり、照明のグラデーションと背後の渋谷の夜景(なんとオーチャードホールは背景に夜景を設定してある!)の雰囲気を見事にマッチさせて1つの作品としても成立し得るような強度を持たせていたり、障子紙を貼った木枠をいくつも下ろして後ろから照明を当てることで柔らかな光が拡散して均等に舞台上に行き渡らせるような演出は、曲と雰囲気的にもリズム的にもマッチしていて、とても好感の持てるものだった。

 前回はスパイラルで8月の終わりに無観客配信の公演をやっていたけれど、そこから引き続き、ダンサーのAokidさんも参加していて軽快な踊りを舞台上を縦横無尽に移動しながら見せてくれていた。奏者の近くに寄ったり、中央で踊っていたかと思えばもう端の方にいたり、軽々とした身のこなしで流れている音を楽しみながら奏者たちの間を駆け抜けていく様子は見ていて楽しかった。

 曲としては『HOLIDAY』が良かった。これは塩塚モエカの圧倒的なパフォーマンス力によるものが大きいけれど、普通に曲がハマったというのも大きいかもしれない。相乗効果というやつだ。塩塚さんの歌のうまさは声の揺らぎから感じることが多い。声自体が聞きやすい、心地良いという良さもあるけれど、リズムを取るとき、音程を取るときの一時の声の揺らぎのような速い振動の乱れが彼女の音楽の魅力を確かなものにしているのだろうなあと感じた。そして、塩塚さんの声にはシティポップがよく似合う。透き通るようなクリアで揺らぎのある声は夜の街にロマンを感じさせるには十分すぎるなあと思う。RYUTistさんと柴田聡子さんの『ナイスポーズ』は最後らへんで柴田さんの近くに寄りながらパフォーマンスをされていて、可愛いなあなどと、終始微笑みながら見ていた。

 これから、もはや何度めかもよくわからない緊急事態宣言が出される。今回はおそらく長引くだろう。そんな気がする。都内の美術館は休館になるだろうし、ライブハウスも劇場も映画館も人が集まるところは休業を余儀なくされるだろう。もしかしたら休業では済まないかもしれない。蓮沼さんが最後に「健康で生きて」と僕たちに呼びかけた。今のところ、肉体的には健康だが精神的にはすこぶる悪い。様々な意味で貴重なライブになった。とにかく、対面でライブをする判断をしてくれたことには感謝の気持ちしかない。ありがとう蓮沼執太フィル、ありがとうオーチャードホール。僕らはまだ旅の途中で、これから先、愛し愛されて生きる可能性に満ち溢れている。その可能性が絶たれないように健康的に生き延びていきたい。