伊澤の牧場〜アンチフォーム交友録〜

行き場のない言葉達を放牧しています。勝手に書く。

劇団ノーミーツ『それでも笑えれば』に関しての覚え書き 

 劇団ノーミーツ『それでも笑えれば』の大千穐楽公演を昨日観劇した。500人くらい人が来ていた。ノーミーツの公演は全て見ているけれど、今回が1番クオリティが高かった。「Zoom演劇」を支える技術的側面と観客を物語に巻き込むための形式がバランス良く結びついていたと思う。しかし、一方で「Zoom演劇」という形式の限界も感じたので、ここに感想を書いておくことにしたい。ちなみに、ノーミーツのメンバーのほとんどは93年前後の生まれと聞いた。僕も93年生まれなので、ある程度同じものを共有しているかもしれない。いつか話す機会があると良いなあと思っている。

◯あらすじ

 お笑いコンビ「へるめぇす」のマキ(優柔不断で辛い時でも笑ってごまかす所がある)とルリコ(漫才がやりたくてお笑い芸人になった。物事を深刻に捉えすぎる所がある。真面目な人)は、新型コロナウイルスの影響によって、今後の仕事が白紙になった事をマネージャーの関根から聞かされる。一時は落ち込む二人であったが、気持ちを切り替えて、モノマネやゲーム実況を中心とする配信コンテンツの制作を始める。しかし、その事で漫才のネタを書く時間が無くなったためにルリコの不満がつのり始める。プライベートでは、ルリコの彼氏であるコウヘイ(バンドを辞めて社会人として働いている)が、「これからの人生、一緒に迷っていこう」と結婚を意識した言動をされる。マキは実家の母であるアケミから連絡が来て、母の体調が思わしくないことと、仕事が減って心配している旨を伝えられる。プライベートの悩みを吹っ切るかのようにお笑いグランドチャンプに向けて準備を進める二人。しかし結果は準決勝敗退。「へるめぇす」の代わりに「セッシー4C」が決勝に進出する。ルリコのショックはとりわけ大きく、マキに「へるめぇす」の解散を切り出す。マキは意外にすんなり受け入れるものの、母に本音を言えたのかと問い詰められる。お笑いグランドチャンプ当日、セッシー4Cの矢島から粋な計らいをされ、ルリコとマキは話し合いの場を設ける。披露するはずだった漫才をぶつけ合う事で、お互いの本音を確認する2人。「ルリコ意外とは組まれへん」と宣言するマキ。観客はコンビ解散か否かの洗濯を迫れれる。以下、コンビ解散を受け入れたストーリーを観劇した限りのストーリー。受け入れたマキはお笑い芸人を続けるか、諦めて実家に帰って就職するかの選択を迫られる。これも観客が選択するものになっている。芸人を続けるパターンを選んだ場合はセッシー4Cの決勝ネタを感染する仲間のお笑い芸人等のシーン(一人はコンビ解散して就職している)から、マネージャーの関根とセッシー4Cのシーンでマキがまだお笑いを続けている(おそらくモノマネで?)ことが明かされる。そして生配信で公園で再会する2人。コロナ禍だからではなく、解散は運命だったのだという事実を受け入れる(どういう選択をしても最後は解散することに決まっていたらしい)。それぞれの道を歩み出す二人(最終公演では音声トラブルがあって、もう一度配信をし直していてライブ感があった。)。そして物語は終わっていく。

 

◯脚本・演出

 売れない漫才師(達)がコロナ禍をきっかけに仕事のやり方やお互いの関係性を見つめ直したりといった〈コロナ禍における人間関係の変化と、そこから派生する個別の物語に焦点を当てた群像劇〉になっていた。今まではZoomだからこそできるタイムリープの演出やサマーウォーズ感溢れるOZ的な装置に観客を参加させる仕組みなどを作り、フィクションのリアリティを技術によって担保するということを行っていた。しかし、今回はキャラや物語としての面白さを重視していた気がして、そこが良かった。コロナ禍を前提とした上でどう生きるべきかという選択肢について、観客が参加することでリアリティを持って感じられるという演出は面白いものだったと思う。ウィズコロナ時代を生きる人々を題材にした演劇は既に多く作られているし、お話の構成として少し単純にすぎるのではないかとも思った。もしこれが小劇場の舞台で上演されたとしたら、ここまで面白くはならなかっただろうなあと思う。ただ、コンビ解散のシーンで漫才の形式を借りて、相方に本音をぶつけ合うところがかなり良く(「あなたが落としたのは金のオノか銀のノミか〜めっちゃ美人だけど性格悪いか私か」のネタ。ベタだけどベタだけに役者さんの力量がハッキリ見えて良かった。)同じセリフが形を変えて繰り返される際に生まれる感情の展開が素晴らしかった。また、随所に盛り込まれる日常会話でのツッコミ/ボケの応酬が心地よかったので、台詞の応酬に関しては良いなあと思う部分が多かった。

 それと、モノマネ動画の配信の際にやっていた、ピアノを弾くような指の動きをしながらお互いが捌ける振り付けとか、オツハタさんのサングラスネタとか、随所でクスッと笑える所が多かった。ただ、ここまで分かりやすく鑑賞者の感情を動かしていくことが必要だったのか?記号的なキャラがいることで話は分かりやすくなるしアクセントも生まれていたけれど、一部のキャラの作り方がかなり恣意的だったし、もう少し個々を掘り下げても良いのでは?と感じてしまった。特に相原カオリさんとか。それから、マキの優柔不断さを表すのに鯛焼きをどっちから食べるかっていう日常的な所だけで行くのは弱い気がした。あとで、めちゃくちゃ重要な判断を迫られることとなるので、過去の大きな過ち(優柔不断さによって失敗した取り返しのつかない出来事)を入れて欲しかった。

 あとは、矢島のキャラ付けを拒否するけど売れるために結局キャラ付けしようとして滑る感じが好きだった。

◯演技
「Zoom演劇」で難しいのは、やはりリアルタイムでの演技だと思う。相手の反応は断片的にしかわからない。拾える情報が少なすぎる。その少ない情報を鑑賞者の能動的参加のスペクタクルや、演技している最中は相手の反応が分かりづらく(というかほぼ見えないのでは...?)想像で補っている部分がかなり多いのではないかと感じた。自分が発したセリフが同一空間上で共演者に届き、フィードバックで自分の身体が反応する感覚があるかどうかで、演技のクオリティに大きな違いが出るなと感じた。誤解を恐れずに言えば、テンポがばらけていて、個々の演技が、独りよがりな「くさい芝居」になってしまった部分もあるように思われた。恐らくこれは個々の演技力がどうとかっていう問題ではなく、〈異なる空間にいる人間同士が演劇を行おうとする際の限界〉なのだと思った。その中でも一際群を抜いて演技が上手かった人が1人いる。漫才コンビ「へるめぇす」の小田島マキの母親小田島アケミを演じた藤井 咲有里さんだ。ボケ倒しつつもマキを気遣う感じや、表情豊かに物語を動かしていく感覚が鋭く刺さった。キャラではなく、マキとのやり取りから人柄が少しずつ滲み出てくるような感覚は素晴らしいなあと思っていて、なかなかZoomでは見られない演技なのでは...?と思いながら見ていた。マキとのシーンで、テイクアウトしてきたというお弁当を自分で作ってらしたのにはビックリだった。キャラ的には矢島を演じた上谷さんが良いな〜と思ったので、もっと振り切った狂気じみたキャラを演じて欲しい(願望)。

◯形式

 新感覚の〈リアルタイムリアリティーショー〉を爆誕させていた、というのがまず思ったこと。今回の作品は選択肢を個々の判断によって選び、それによって物語が分岐するという能動的な参加を要請する作品だ。ページ内に設置されたチャットで、作品の内容についてリアルタイムで鑑賞者同士が話すこともできれば、違う選択肢を選んだ平行世界線で行われている別の可能性を感じ取ることもできる。テラスハウスで行われている副音声でスタジオにいる芸能人がコメントを挟み込むという形式と似ている。

 そういう意味で、本人の部屋からの配信というリアル感と、本人が演じている役が部屋で話すことのフィクション性が顕在化した演劇だなあと思った。解散後の2人が出会う最後の外シーンは、リアルなんだけど同時にフィクションとして感じられるシーンであり、現在の社会状況とも重ね合わせられるものであった。「今年1年はどんな1年だった?」といったメタ感のあるメッセージも投げかけられて鑑賞者の団結感が一気に高まり、大団円に向かう中で行われた最後の外シーンでは、強風のせいか回線のせいか音声トラブルが生じた。ここでも、大勢の鑑賞者が「スタッフさん頑張れ」等の応援メッセージを送り、リアルタイムでしかあり得ない一体感が生まれていた(サマーウォーズ的)。「一度も出会うことなく稽古をし、公演を行う」ことをポリシーにしているノーミーツが、人と人同士が出会うシーンを演出し、そこでのトラブルすら共有していくという部分でも感動を誘うドラマがあったと思う。

 「いま/ここ」でしかあり得ない演劇では、舞台上から発せられる情報に鑑賞者が飲みこまれていくような体験をすることができるし、自由に見たい場所を見て主体と客体を行きつ戻りつしながら鑑賞できるだけの距離があると思う。しかし、画角が固定化されているようなZoom演劇は、基本的に引いた目線になるため、没入感による能動的な鑑賞体験を得ることは難しい。その結果、最初にストーリーを追うことに疲れ、画面の中の身体を知覚することにすら疲れてしまう。しかし、それを打ち破るためにチャット機能で感覚を共有することや、重要な決断を鑑賞者に委ねて物語を複数に分岐させるという鑑賞時にも購買時にも鑑賞者が能動的にならざるを得ない仕掛けが施されていた。このことがリピーターを生み、公演は商業的にも成功したと言えるだろう。

 この演劇によって、ノーミーツは「Zoom演劇」の旗手として新境地を切り開いたと思う。最後に、この公演が「果たして演劇である必要はあるのか?」という疑問を投げかけておきたい。リアルタイムの上演によって多くの人の感情を揺り動かす表現形式は多い。それは演劇だけに限らない。ありふれた日常から立ち上がるフィクションは嫌いではない。誰にでも起きうることからフィクションを立ち上げれば多くの人々の共感を生むかもしれない。しかし、演劇も面白さは破綻をものともしない形式の強さにこそあると個人的には思っている。シーンの一箇所が崩れても、前提となり得る形式があることで、セリフが、身体が、説得力を持って立ち上がる。演劇の形式をテクノロジーから拡張するのには賛成だ。しかし、そうではなく、戯曲の形式によって生まれる面白さの方を優先した場合のノーミーツもぜひ見てみたい。

 

◯まとめ

色々とりとめもなく書いてきたけれど、今回の公演が素晴らしかったことに変わりはない。もし機会があるならまた見たいくらいだ。世界は元には戻らないが、戻らないからこそ提示できる面白さもある。個人的には、単に「面白かった」「楽しかった」「悲しかった」という感情から離れ、複雑な思いを一緒くたに鍋にぶち込んだようなモノが好きだ。人間は感情をうまくドライブしていけるものではないからこそ、そこにリアリティを感じる。今回は分かりやすいストーリーながらも、個々の人間性(役としても俳優としても)にフォーカスした作りになっていたため、物語というよりも個々の役者の内面の複雑さが様々に見られて面白かった。次回公演も観劇しようと思う。

 

追記1:舞台の形式については以下のnoteが参考になる。

IAMASの小林先生のnote

https://note.com/_kotobuki_/n/n2f066f1a8627

あと、河原あずさんのnote

https://comemo.nikkei.com/n/nb51c8377f9d1

落合陽一さんのnote

https://note.com/ochyai/n/naf2e47ec07cf

 

追記2:アーカイブが見られると聴いて、後で見返そうと思ったらアーカイブ朝9時までで起きたら見れなくなってたのが残念すぎましたね...。もう少しだけ長く残して欲しかったです(願望)。それから、オンライン公演のための劇場フォーマット作ったのマジで凄いと思いました。今まで見たノーミーツの作品では最高傑作だと思うので、またリバイバル公演を行っていただきたいです。他のルートも見たい。