伊澤の牧場〜アンチフォーム交友録〜

行き場のない言葉達を放牧しています。勝手に書く。

ブロードウェイミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』〜ストーリーは単調だがエンタメとしては最高〜

ブロードウェイミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』を見た。

ストーリーは一言で言えば、1950年代ニューヨーク版『ロミオとジュリエット』だ。

ヨーロッパ系移民の「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」の対立が激化する中、「ジェッツ」の兄貴分トニーと「シャークス」のリーダー、ベルナルドの妹マリアはダンスパーティーの最中に恋に落ちる...という感じ。

あとはロミジュリお決まりの悲劇的展開だが、ラストの展開だけが少し異なる。

シアターオーブはミュージカル専門の劇場であり、2000席近いキャパがあるため空間にとにかく余裕がある。照明も豊富すぎるほど豊富だ。ただ、はじまりのダンスシーンではセットに比べて動きがせせこましく感じられ、見ていて最初はちょっとセットの奥行きや幅の生かし方が足りないように思った…のだが、ドクの薬局の作り込んだ感じとか、奥行きを使ったダンスなどはなかなか空間の使い方が上手で、メリハリを考えたセットにしているのだなと思った。

回舞台の組み替えをうまく行って、移動や時間経過、夢と現実の移り変わりを示しているのは良い。

歌はアンサンブル含め良かったが、なんと言っても素晴らしいのは、マリア役のメラニー・シエラの歌唱である。ストレートプレイは若干大袈裟すぎるきらいがあったけれど、声量は申し分なく、恋する女性の繊細な心の揺れ動きが感情豊かに表現されていたと思う。クラシック畑出身の方なのかも。

演出は移民同士の「アメリカ人らしさ」を巡る対立が中心で、それに伴って、戦争と平和、男と女など二項対立的な要素が絡み合って展開していく。ちなみに、衣装も赤と青の二色で色分けされている。

特に目新しい演出はなかったが、非常にわかりやすい展開に整理されていた。エンタメとしては正解なのだけど、単調すぎて物足りなさは感じてしまった。

キャストは本番ブロードウェイのキャストで、シャークスのメンバー達に関しては、きちんとマンボを歌って踊れるキャストを集めてきたという印象があった。ベルナルド役のアンソニー・サンチェスによるダンスのキレは群を抜いていた。演出に関しては、ダンスと歌を邪魔しない淡々としたものであり、ストーリーをより単調にしている感はあったが、イケメン達の決めポーズでどんどん場転をしていく様は笑えたし見せ方として印象的で良かったと思う。

トニーとマリアが結婚式の真似事をブティックのトルソを使用して行うシーンは、あまりに演劇的すぎて気恥ずかしくなったけれど、あのぐらいクサい芝居の方が、恋することの儚さと狂気的な感じを出しやすいのかもしれない。

ミュージカルなので、ほとんどのキッカケが音楽なのだけど、音楽に操られてるという感覚はなく自然とシーンと音楽が一体化していた。まあ、そのあたりは役者の技量なのだろうけれど。

あと、完全暗転が多かった。別にミュージカルでは普通なのだが、普段現代演劇ばかり見ているとぬるっと切り替わる場合が多いので少し新鮮に思えた。

ちょっと気になったのは、シャークスのメンバーの1人チノがトニーを銃で打つ超重要シーン。トニーがマリアを見つけた途端すぐに打つのは早すぎだと感じた。死んだと伝えられていたマリアを見て驚くトニーの表情が全くいかされていない。観客の頭も追いついていかないだろう。

衝撃的なシーンだっただけに、あまりに唐突すぎる死はわざとらしさを増すため、演劇としては命取りだ。

ただ、ベルナルドの恋人アニタ役のキラ・ソルチェが「マリアは生きている」という伝言をトニーに伝えに行くシーンは名演だった。

結局、民族間の対立によって個人の意思が阻まれ、「マリアは死んだ」と捨て台詞を放ってアニタは去っていくが、個人と民族間の葛藤を表現していくシーンは彼女の独壇場だったと思う。

ただし、このミュージカルを今、日本でみる必要があるかと言われると、ノーである。海外からの一流ミュージカル俳優達を一目見て記念にしようという動機で来ている人が大半だろう。1950年代のアメリカにおける移民の状況を知らなくてもストーリーは分かるが、込み入った問題に関しては、演出で伏線を忍び込ませ、少し国同士の複雑な状況を見せておいた方が現代で上演する意義もあるのではないか、と感じた。