伊澤の牧場〜アンチフォーム交友録〜

行き場のない言葉達を放牧しています。勝手に書く。

「展開された場における彫刻」に関してのレジュメ(的メモ)

「展開された場における彫刻」

"Sculpture in the Expanded Field"

原文は1978年に書かれたもの。

 

○本論の目的

1960年代以降の「彫刻」の枠組みを、論理的展開によって捉え直すこと。

※クラウスは、ロバート・モリスを仮想敵としていたのでは?との意見も、議論の中で出現。モリスの論考読まねば。

1.「彫刻」に対する歴史主義的戦略への批判

1段落

メアリー・ミスの《境界線/亭/おとり》(1978)のような「アース・ワーク」作品を例に論を開始。

 

2段落

彫刻というカテゴリーが「ほとんど無限に融通がきくもの」にされない限り、新しく出現した「彫刻」と呼ばれる作品には、従来の「彫刻」カテゴリーを与えることはできない。

 

3段落

彫刻のような用語の拡大解釈と濫用は、前衛美学という名の下に行われているが、新しさを既知のものに還元するという歴史主義的戦略が隠されている。

 

2.「彫刻」カテゴリーの崩壊へ

4段落

1960年代にミニマル彫刻が出現した際、批評は、3段落で述べられていたような歴史主義的戦略によって、ガボやタトリンやリシツキー等の「構成主義の父親たち」[405頁]を召喚した。

構成主義的な諸形態が、普遍的幾何学の不変の論理と一貫性の視覚的証明として意図され」[405頁]たことにミニマリズムが符号するということが、明らかに偶然の一致だということも問題にはならなかった。

→作品内容における固有の差異は問題にならず、「構成主義の父親たち」の歴史的系譜に一元化されてしまう?


5段落 

1960年代が70年代へと延びていくにつれてメディウムが多様化し、「彫刻」という言葉は言い出しにくくなった。

しかし、歴史家/批評家たちは、数千年単位であらゆるもの(ストーンヘンジとかナスカの地上絵とか)を召喚し、作品と歴史との繋がりを証言させることで、「彫刻としてのその地位を嫡出化」[407頁]させることを可能にした。正確には彫刻ではないものを召喚するのは論証が疑わしいものになるので、過去と現在を繋ぐためにプリミティヴィズムに回帰した20世紀初頭の色とりどりの作品(ブランクーシ《無限円柱》)を召喚すれば良い。

 

6段落

「彫刻」が少々〈曖昧なもの〉となり始めカテゴリー自体が崩壊危機に。

3.モニュメントとしての彫刻

7段落

「彫刻の論理は、モニュメントの論理と切り離すことができないものだ」(407頁)

→特定の場所におかれて、その場所の意味や効用について象徴的な語調で語る。

モニュメントは、特定の場所にあって、特殊な意味/出来事を印づけるもの。

彫刻は通例、具象的で垂直的であり、台座は現実と表象的記号との仲介者として構造上重要な役割を果たす。

8段落

「彫刻の論理」は失墜し始める。モニュメント論理の衰退を目撃。

→場所における象徴性や表象性の失権。

記念碑としての彫刻《地獄の門》と《バルザック像》

 

9段落

彫刻はモニュメントの反転した状態へと移行

→「ある種の無場所性、ホームレス性、場所の絶対的喪失」の空間へと入る

つまり、場所(サイト)の喪失と関係しながら作動する、モダニズム期の彫刻的生産へ。

自己言及的な抽象としてのモニュメント、純粋に印づけるものないし基部としてのモニュメントを生み出す。

4.ポストモダニズムの台頭

10段落

モダニズム彫刻の意味と機能は本質的に「場所を欠き」、「自己言及的」。

ブランクーシの作品における基部

→基部は作品のホームレス性を印づけるものと定義される。

 

11段落

60年代初頭に現れる彫刻は、建物の上や前にあって建物ではないもの、あるいは風景のなかにあって風景ではないものであった。

 

12段落

ロバートモリスの問題

○グリーンギャラリーでの展示

→疑似建築的な完全体群で、「部屋の中にあって実際には部屋ではないもの」になっている。

○鏡張りの箱による屋外での展示

→形態が視覚的に芝生や木立と連続しているにもかかわらず、風景の一部ではないという理由で周囲の環境と区別される。

 

13段落

 「彫刻」は非-風景に非-建築を加えたものから帰結するカテゴリーになった。

非-建築かつ非-風景であるという条件を満たす存在を「彫刻」として再定義.。

 

14段落

非-風景は風景という語の別の表し方

非-建築は単純に建築

元の対立関係を鏡像化しつつ同時に開く四元の場に変換される、論理的に展開された場の提示。

 

15段落

風景と建築の二つの項の否定的あるいは中立的な条件においてしか、彫刻的なものを定義するように機能しえなかった。「風景であると同時に建築であるもの」(迷宮や迷路、日本庭園)

 

16段落

展開された場は、彫刻というモダニズムのカテゴリーが宙吊りになっている状態を1組の対立関係を問題化することによって産み出される。

展開された場は他に3つのカテゴリーを召喚する。

1「サイト-構築」[site-construction](「建築」かつ「風景」)

2「公理構造」[axiomatic structure](「建築」かつ「非-建築」)

3「印付けられたサイト」[marked sites](「風景」かつ「非-風景」)

ポストモダニズム

 

4「彫刻」[sculpture](「非-建築」かつ 「非-風景」)

モダニズムカテゴリーとしての「彫刻」

 

17段落

1968年から70年に至るまでの間に「展開された場」について考えることに対する許可(あるいは強制力)に影響を受けた作家達の台頭。ポストモダニズムの出現。

 

18〜20段落

前段のポストモダニズム作家達の実例

○「サイト-構築」[site-construction](「建築」かつ「風景」)

スミッソン《部分的に埋められた薪小屋》

モリス、アーウィン、エイコック、メイスン、ハイザー、ミス、シモンズ、etc…

○「印付けられたサイト」[marked sites](「風景」かつ「非-風景」)

スミッソン《スパイラル・ジェッティ》、ハイザー《ダブル・ネガティヴ》

セラ、モリス、アンドレ、オッペンハイム、ホルト、トラキス、etc…

→「サイトに対する実際の物理的な操作に加え、印づけその他の諸形態をも指し示す。[419頁]

例:スミッソン《ユカタン半島での鏡の転置》

※スミッソンの「ノン・サイト」概念のような、景色から切り取られた断片としてのサイトとも関連してきそう。

○「公理構造」[axiomatic structure](「建築」かつ「非-建築」)

アーウィン、ルウィット、ナウマン、セラ、クリスト、etc..

→建築の現実空間に対するある種の介入がなされる。部分的な再構築や鏡の使用やドローイング...。

ナウマン《ヴィデオ回廊》

可能性としては、建築的経験の開かれと閉ざされという抽象的諸条件をある所与の空間の現実へとマップするというプロセスの探求がある。

 

5.ポストモダニズムにおける個人的実践と媒体の問題

21段落

ポストモダニズムの実践は、個々の芸術家の実践と媒体の問題に関係している。

22段落

ポストモダニズムの実践は、所与の一つの媒体-彫刻によって定義されるのではなく、1組文化的諸項に対する論理的操作との関係において定義される。

→媒体が問題になっているのではない。

 

23段落

ポストモダニズムにおける実践空間の論理は、「素材の知覚を根拠とする所与の媒体の定義をめぐってもはや組織されるものではないことは明らか」である。

ジョエル・シャピロの彫刻の可能性。

 

24 段落

本論考は、歴史主義的批評とは別の、論理的構造という視点から、「形式の歴史」について考えるアプローチをとっている。その前提には、決定的な断絶を受けいれることと、歴史の過程を見つめることの可能性がある。

 

○まとめ(的なもの)

 クラウスの「展開された場」図式は、1960年代以降の彫刻が象徴性や表象性を失い、曖昧なものとなり始めた結果、「素材」の知覚から構成されるものではなくなったという状況を捉えるものである。建築と彫刻、あるいは、風景と彫刻の境界が曖昧になっている作品が多数製作された状況が踏まえられている。例として挙げられているロバート・スミッソンのようなアース・ワークの出現はその代表的なものかもしれない。クラウスによると彫刻が〈彫刻である〉ための条件とは、「素材」によって作られることではなく、「建築ではない」ものであり、かつ「風景ではない」ものとして定義される。「非-建築」、「非-風景」という否定語を擁立し、対立項として「建築」、「風景」を召喚する。新しく出現した曖昧な彫刻は、四つの項のいずれかの対立項として捉えることができる。

 重要なのは、彫刻を「素材」によって区分してしまうと、そこに当て嵌まらない動向が現れた時に、彫刻なのか否かという判断が不能になってしまうということだろう。それが、曖昧な彫刻を制作している作家達の制作目的にたどり着くことを妨げていた。彫刻を「非〜」かつ「非〜」と定義し、論理的に想定できる四つの対立項を生じさせることで、今までの枠組みでは捉えきれなかった動向を理解することができるようになった。

 

 参考文献 ロザリンド・E・クラウス(2021)「展開された場における彫刻」『アヴァンギャルドのオリジナリティ ―― モダニズムの神話』(谷川渥・小西信之訳)月曜社