伊澤の牧場〜アンチフォーム交友録〜

行き場のない言葉達を放牧しています。勝手に書く。

貴重な一次資料のオンパレード〜「山口勝弘展 『日記』(1945-1955)に見る」

 神奈川県立近代美術館鎌倉別館にて、「山口勝弘展 『日記』(19451955)に見る」を見た。本展覧会は、1945年から1955年までの間に書かれた18冊の日記を手がかりに、山口の初期作品を展示するものである。山口の日記は「ノスタル爺やの思い出」と書かれた箱に納められており、非常に良い状態で保管されていた。山口は自らの制作目的や作品の構造についても詳細に書き残す人物で、日記にも当時の交友関係や日々の制作の軌跡、訪れた展覧会やコンサートに至るまで、詳細な記述が端正な字で残されている。

 山口はこれまでも美術手帖や音楽芸術、ユリイカなどの雑誌に度々寄稿しており、実験工房きっての筆まめな人物だと思われる。ちなみに、これまで山口が雑誌へ寄稿した文章は『生きている前衛——山口勝弘評論集』(2017)として、井口壽乃編で水声社より出版されている。

 さて、山口が語る自身の制作目的については、評論集の記述と残された作品によってある程度整理することが可能である。しかし、前述の18冊の日記の発見は、山口自身の交友関係や影響を受けた作品について辿ることで、実験工房というグループの成立背景や山口の初期作品における制作理念について改めて実証的に整理することができると思う。

 しかし、本展覧会の構成は、山口の日記を引用し、その記述に関連する作品を提示しつつも、日記からコレクションを読み解くというものでは必ずしもない。山口の初期作品を展示する上での補助線として日記は使われるが、山口の実験工房加入以前と以後を比較し、どのようにその非連続性を捉え直すことができるのか?という問題が展覧会には内在している。注目すべきは、収蔵されている山口の「ヴィトリーヌ」シリーズをはじめ、APNでコラボ制作された写真など、実験工房時代、つまり1951年〜57年頃までの山口の活動がほぼ網羅的に紹介されているという点である。

 さらに、山口や北代の実験工房の加入直前の作品があったのも面白かった。特に北代がシュルレアリスム風の作品を制作していたことは知らなかったので、あそこから露骨にロシア構成主義風の作品を出しはじめたり、カルダーの模倣をやったりするような実践にどうやって変化していったのか非常に気になった。

 また、重要な一次資料として、実験工房が日本におけるメディア・アートの先駆的存在として語られる際に必ずと言っていいほど言及される「オートスライド」作品が3作品見られるという点である。この作品は展覧会が開催されない限りお目にかかれない代物であり、私にとっても貴重な体験となった。これらの「オートスライド」作品は、領域横断的表現をメディア技術の使用によって成し遂げたという点において重要視されており、内容については私の知る限りほとんど言及されてはいない。3作品の中では、「原子力」による破壊を描いた『見知らぬ世界の話』が面白かった。自らの作り出した存在が自らを破壊する存在となるという、ラトゥール的な物神崇拝的なテーマを展開するこの作品は、3作品の中でも一番ストーリー性を感じさせるものであった。「オートスライド」作品は一様に画面が単調で、スライドの移り変わりも一種の断絶を生じさせるレベルの転換があるが、戦後日本美術を記述する上で貴重な資料であることに変わりはない。また、舞台芸術作品の記録写真も展示されており、演者の身体が造形作品と関わる際にどのように変形するのかといった問題についても窺い知ることができるものになっていた。

 本展覧会では、山口や北代の初期作品から実験工房時代の作品への変化についてはある種の断絶を見出すことができると思う。そして、その断絶にはバウハウスやロシア構成主義などの日本における美術受容の問題が絡んでくる。また、舞台芸術作品における造形作品の使用についても記録写真のみからではあるが、その舞台の特異性について十分に認識可能になるはずである。

 皆様もぜひ展覧会に行ってみることをオススメしたい。60年代の比較的大きな作品は出品されていないが、山口の作品における傾向を端的に指し示すことができる展覧会となっていることは評価できるし、貴重な資料にお目にかかれるチャンスである。「ノスタル爺やの思い出」も現代に蘇り、新しい歴史を紡いでいくための一つの礎になるだろう。

追記:作曲家と造形作家のコラボによるグラフィック・スコアもあるので、音楽関係者にも是非。