伊澤の牧場〜アンチフォーム交友録〜

行き場のない言葉達を放牧しています。勝手に書く。

稀代のSF作家の物語理論、あるいは闘病記〜『伊藤計劃記録 I』

伊藤計劃記録 I』を読んだ。読んだ理由は、僕が彼の『虐殺器官』という小説を読み(もはや日本において語り継がれる伝説的なSF小説だが)、どうやったらこんな物語を書けるのか不思議に思ったからだ。彼が文章を書く時、物語を描いていく時に、その源流に流れているものはなんなのか知りたかった。

寿命が潰えていく中で、自分の朽ちていく身体をSF的に解釈し、次々と連想ゲームのように打ち出される文章は作家のドライブ感に満ち溢れていて、とても心地良い。

一人称がほとんどの場合「ぼく」なのも意外だったが、「僕」よりもナルシスティックな面が薄まっている感じがするし、柔らかい感じでドライブできるのが良い。僕も何かの文章で使うことにしようと思う。

僕はブログでの発言と恋人との会話では「僕」を用いることが比較的多かったように思うが、親しい友人同士の会話ではほとんどの場合「俺」を用いる。もちろんフォーマルな場所では「私」になる。

人称は文章を書く時に(特に小説を書く時に)重要な技術ではあるが、伊藤計劃の軽妙洒脱なブログでの振る舞いは、実作をする人の参考にもなるのではないかと感じられた。ってか、こんなにユーモア溢れる人だとは知らなかった。

この記録集は8割がメタルギアソリッドの話か、SF映画の話か、闘病記か、あるいはそれらが渾然一体となったものなのだが、映画の知識が半端ねえ。考察も深いし、これ読んでるだけでSF最高って叫び出したくなるくらい凄いんだ。僕には全く知り得なかった映画のレビューの書き連ねが文学になっている。レビュー文学ですこれは。ジブリ映画についてのレビューもあった。『もののけ姫』に関してのレビューを読んだが、「ある種の逡巡と傲慢さが同居した結果落とし所が全く不明なまま物語が暴走する、『手に汗握る絶望』が全編を覆っている」 と評したのは、言い得て妙だと思った。

ブログは、自分の死後も読み継がれる。SNSの発言だってそうだ。言葉が一人歩きして、多くの人間に突き刺さる。突き刺さって抜けないまま、皮膚の中に埋没し、血管をすり抜けていく。簡単に心臓に言葉が突き刺さる世の中で、傷つかないために沈黙するのはうんざりだ。

伊藤計劃のブログは、読む快楽に満ち溢れている。それは、小説で作り込まれた精緻な設定に基づく世界とは別種のものだ。

記録集を買わなくても、ウェブ上に残ったブログに触れることはできる。別に彼の小説を読んだことがなくても、映画かメタルギアソリッドが好きなら十分に楽しめるだろう。興味ある人はぜひ。

https://projectitoh.hatenadiary.org/