伊澤の牧場〜アンチフォーム交友録〜

行き場のない言葉達を放牧しています。勝手に書く。

ロロ『ちかくに2 つのたのしい窓』1話 感想

 今だからできるZOOM演劇の一つ。登場人物は村田秋乃(亀島一徳)と川岸風太(篠崎大悟)。
 
物語は、川岸がZOOMを開き、スマホの画面を調整するところから始まる。
CMソングを鼻歌まじりに歌いながら画面外へ消える 川岸。
 
 ここで面白いのは、声はクリアに聞こえているのに画面内には川岸は写っていない点だ。
マイクによって拾われた音声だけがZOOMを通してクリアに伝わっている。
音の発信源と音が分離されている状態は視覚的なノイズがないため、かえってクリアに聞こえる状態が面白い。聞こえてないと思ったら実は相手に聞こえてるということは、ごく私的な空間をを相手の空間に持ち込むことになる。現実の空間は共有されていないのにもかかわらず、音だけが共有されているというのが面白い。
 
「聞こえてたの?」「聞こえてるよ。」「聞こえてないかぁ。」「聞こえてるよ。」
 
 といった二人の会話が時折差し込まれるのもZOOM ならではのものだと思う。同じ空間を共有していないことや、発話者が枠線で切り取られることによって一方的なコミュニケーションになりがちなことや、微妙なタイムラグによる印象のズレが、お互いの関係性を曖昧なものにさせている。舞台上では容易に汲み取れる情報が分断され、タイムラン上で断片的に共有されることで意識のズレが生まれる。物語が進むにつれて二人の関係性が徐々に判明するが、鑑賞している側も分断された画面の外側から登場人物との感情のズレを享受しながら曖昧な輪郭を徐々に自らのイメージと擦り合わせていく。
 画面の内部で起きる出来事と、それを鑑賞する我々の身体が双方向的に分断され、伝言ゲームのように言葉が伝わって来る。
当初の意図された言葉とは違う伝わり方で伝わってしまうこと自体の面白さがZOOM演劇にはあるのだと思う。
 また、村田はPCのため移動できないが、川岸はスマホなので移動できるというのも面白い点だ。カメラに対する自分の姿勢が限定されることで、セリフの伝え方にも差異が生じてくる。空間を移動することによって生まれる情報量の差異をZOOMは見事に可視化してくれる。カメラ自体を触ったり、カメラに映る相手の目線を意識しつつ、どこを見たらいいのか戸惑うというカメラという媒体自体の制約もうまく演劇に作用していたと思う。
 空間を共有できないことが、冗談とも本気ともつかない感情のズレを生むことになる。ZOOMという機能による空間の分断とタイムラインの不確かさ。共有できているようで共有できない認識のズレ。離れていても近づくことができること、しかし、その近さには確実な分断が起きていること。相手の気配を感じられないことが一方的な会話の押し付けにつながってしまうかもしれないこと。こうしたトピックはこれからZOOM演劇を見る際にも役に立つ指針となるだろう。
 2話目以降も引き続きレビューする。